※淡々と触って試し中 – by Canon RP(RF35mm f 2.0 1/80 ISO 100)
「かんたん」という言葉は使いませんし、見聞きしてもスルーするようにしています。
その代わり「タンタンと」は意識して使っています。
似ても似つかぬ言葉というのは大事です。
「簡単ですよ」の結果が「かんたん」だったことことはほとんどない
「簡単ですよ」や「簡単そうでしょ?」という言葉はよく使われているように感じます
身に覚えのないDMやメルマガは未だに勝手に届くことがありますが、そこでだいたい目にする言葉が「簡単(かんたん)」のように敷居を低く感じさせる言葉です。
・「はじめての方でも簡単にできます」
・「クラウド会計を使えば自動でできます」
・「だれでもできます」
などなど。
たしかに、それを送る側(営業する側)からすると、こうした言葉を使っておいた方がインパクトは狙えるのでしょう。
ただ、そんなに上手い話は今の世の中、そうそうないと思ってます。
「簡単(かんたん)」と、言葉通りに受け取って、結果そのとおりだった試しは、ほぼありません(わたしだけかもしれませんが…)。
ただ、少なくとも独立したことは、わたしにとっては、決して「かんたん」なことではありませんでしたし、時間や利益、お金のことは常に考えています。
「誰でもできる」といっても、それは結果的に多くの人ができているだけであって、そこに至る過程は人それぞれで違うはずです。
そんなわけで、「かんたん」や「だれでも」という言葉は信用していません。
事実、独立後、はじめて体験することの多くは、すぐにできたといえるものは1つもなく、たやすく人に「かんたん」という言葉をつかえなくなった、というのが理由です。
「タンタン」とやることができれば「かんたん」に感じる日がやってくる
独立後に体験してきたことはどれも色濃いものばかりです。
それだけに、自分なりにできるようになるまでにもそれなりの時間は必要でした。
・早起き
・運動
・ブログを書く
・オンラインで仕事
・Excel、パワポ
・Photoshop
・タッチタイピング
などなど。
かんたんにできたことは1つもありません。
日々少しずつ、繰り返すことで、できるようになっていたことばかりです。
WordPressやPhotoshopなどは、本で勉強することもあったわけですが、手を動かしながら勉強したほうが早いということに気づいて、まずはやってみることからはじめました。
そうして日々触りながら、ブログであれば毎日書くことを繰り返しながら、習慣の1つに組み込んでいくようにしていきました。
そこから、ネット決済の仕組みを入れたり、カスタマイズでコードを触るということにも枝葉が少しずつ伸びていった感じです。
今やっていることの1つはMacです。
これまで20年以上Windowsパソコンを使い続けてきたのですが、Macを使えるようになった先に何があるのか興味があり、毎日Macを試しています。
もちろん、すぐにできるわけでもなく、そこには「かんたん」という発想はまったくありません。
それでも毎日Macに触るという体験を続けています。
さすがに毎日触れていると、ちょっとずつ体で覚えてきた感はあります。
とはいえ、こうした話は、なにも新しいパソコンを買ったときに限った話でもありません。
何をするにも積み重ねが大切、ということを改めて自分に気づかせてくれています。
自分から、あえて「はじめて体験してみる」と、「かんたん」という言葉が登場することもありません。
「タンタンと」できることは自分の軸
本当にかんたんであれば、印象にも残りません。
誰でもできるのであれば、話題にもならないでしょう。
印象に残るのは、かんたんではないからです。
興味があることはやるようにしています。
かんたんかそうでないかは、結果論です。
独立後のモチベーションはあらゆることに左右してきます。
だからこそ、モチベーションを維持することは重要で、新しい体験はその原動力につながります。
新しいことは繰り返しやらないと身につかないのですが、アウトプットを繰り返すことで、じぶんの中にすり込まれやすくなります。
その体験がたとえ小さなことでも、じぶんなりに仕事に活かすことができるのもメリットです。
繰り返しやることも、アウトプットを続けることも「かんたん」ではないわけですが、それだけに「たんたんと」続けることも独立後に活かせるスキルです。
■編集後記
昨日はオフ。朝のタスクや習慣のみ。
消防訓練に参加したあとは家族と外出でした。
■昨日の1日1新
・とある消防訓練に参加
・クラフトアップルジンジャーレモネード(FRESHNESS BURGER)
・CURRY HOUSE CoCo壱番屋 豊平3条店
■息子(11歳)
自宅マンションでの消防訓練に参加。
消火器の使い方やエレベーターが緊急停止した際の体験も。
「質問ありますか?」には毎回手をあげて質問していました。

