「ひとり」といえば、マイナスのイメージもあるものです。
ただ、それも考え方次第。環境次第で「ひとり」も楽しむことができるものです。
ひとりは孤独?
・ひとりぼっち
・孤独
・孤立
「ひとり」と聞くとこのようなマイナスのイメージがまず浮かぶものです。
その流れも過去を遡ると、おおまかにいえば小学校からはじまっています。
・集団行動
・クラスで行動
・班で行動
ひとりでいると「輪から外れた」、「友達いないんじゃと思われる」。
こういった社会の影響もゼロではないはずですが、
結果として「ひとり」=「孤独」というイメージがあるのでしょう。
たしかに組織やチームでないとできないことがあるのも事実です。
・規模拡大
・役割分担
・フォローし合う
などなど。
いっぽうで、「ひとり」を選べば、寂しいヒトとも見られます。
・「え、ひとり?」
・「雇えないくらい儲かってないの?」
・「そのうち雇えばいいでしょ」
と。
ただ、だとしても、それだけが選択肢でもありません。
あえてひとりを選ぶというのも立派な選択肢。
わたしもひとりがあっていると感じているからこそ、「ひとり」を選択をしています。
組織だから孤独じゃない
ひとりを選ぶと、仕事できる数にも限界があります。
仕事をこなすのにも他のヒトはいないわけで、それもあって寂しさを感じるのかもしれません。
ただ、わたしはというと、寂しさは感じていません。
「ひとり」といっても、仕事をお願いするヒトがいないというだけであって、家族もいれば、気の合う仲間、友人、お客様もいるわけで、天涯孤独というわけではありません。
世の中にヒトはじぶんだけともなれば寂しくもなるんでしょうけど。
いっぽうで、組織にいれば孤独にはならないかというと、そうとも限りません。
組織にいたときの方がよほど孤独を感じるということもあります。
わたしはそうでした。
それだけ組織の人間関係は、カンタンなものではありません。
お誘いや頼まれごとがあれば、やみくもに断るわけにはいきませんし、気の合う人ばかりでもありません。
事実、わたしが勤務していた会社では、気兼ねなく話せる人は数人。数えるほどでした。
ランチで声をかけられないように、ランチタイムのちょっと前にトイレに行ったり、弁当を持参したり。
ウソも方便ではないですが、ひとりで公園のベンチで本を読んだり、散歩したりしていました。
「ひとり」である今よりも、ひとりとはいえない組織にいた当時の方が、むしろ孤独を感じてました。
ひとりだから孤独。ひとりじゃないから孤独じゃないと言いきれるものでもないかと。
少なくとも、ひとりだから孤独じゃない
ひとりを選ぶメリット
組織のなかにいても、じぶんを存分に出せるならいいですが、そういうヒトばかりでもありません。
周りに気を遣いすぎて、じぶんを存分に出せないヒトもいます。
そのうちのひとりがわたしです。
「ひとり」なら、とにかくじぶんで行動しないと何もはじまりませんし、進みません。
ゆえに、常になんとかしようと考えますし、そのための行動、スキルを磨こうとなります。
じぶんでやれることも、たとえ少しづつで。あっても増やせますし、逆にやらないことも選べます。
失敗しても、じぶん次第で何度でもやり直せます。
周りに気を使わない分、じぶん主体で動けます。
そこに「やらされ感」はありませんし、じぶんの考えと行動が結びつかないモヤモヤ、ストレスも減らせます。
・どんな仕事をやっていくか
・どんな道具を使うか
・いつ仕事するか
・どこで仕事するか
・だれと仕事するか
・どんなコミュニティを築いていくか
「ひとり」を選んでいるからこそ、「孤独」にこうしたことを決められます。
「ひとり」は、たしかに「孤独」ばかり見に写りやすいものですが、このように考えると、ひとり仕事の「孤独」はメリットともいえるかと。
仕事でも趣味でも、行動していくと「孤独」「寂しさ」を感じてる暇もありません。
逆に「孤独」「寂しさ」が頭をよぎらないくらい動いて、「ひとり」を堂々と楽しみましょう。
■編集後記
昨日は朝タスク、会計士業(10月決算)、読書やブログ執筆など。
札幌も猛暑が続いてます。都合がいいと思って乗った地下鉄も、外より暑く…。
■息子(9歳)
今日もママとお家で勉強。リハビリもして、お家でのんびり過ごしました。
夕方、京都にある〇〇堂から息子宛てに小包みが。
中身はママがお願いしていたピクミングッズ。息子は大喜びでした。
■昨日の1日1新
・とある申込