運が良かった、悪かったと考えることもあるわけですが、「運」はコントロールできないものです。
中には運じゃないこともあるはずですから、その割合は下げておきたいものです。
運がよかった
何かしら成果が出たとき、あるいは出なかったとき、「運」を感じることもあります。
たとえば、公認会計士試験に合格したとき。
あきらめずに続けていればどこかで合格するかもしれませんが、その年に合格できるかどうかは運もあるでしょう。
独立直後で仕事が少なかったときに、スポットであったとしても依頼をしていただけたこと。
運の要素はゼロではないでしょう。
あのとき仕事の依頼がなかったらどうなっていたかわかりません。
ネットにじぶんを出すブログなどの発信も今も続けていたかどうか。
勤務していた頃、当時の事務所の忘年会でビンゴゲームで毎年1位で豪華賞品をゲットしていた同僚がいました。
まさに運がいい。
わたしはこういうので何かをゲットしたことがありません。記憶のかぎり1度も…。
運があるのは確かにいいことではあるのですが、「運がよかった」といえば、そこで話は完結です。
それに、運だけとは言えないこともあるわけです。
運で片づけてしまえば、その先の発展もないわけで、これはもったいないことです。
「運」じゃないこともあるはず
運がいいと感じるには、そのための前提は必要でしょう。
たとえば、以前息子と見に行ったバスケの試合。
レジェンドと称される折茂選手の直筆サインボールが当たりました。
観戦席がコートに近い位置というのもあり、運もあったでしょうね。
ただ、当たったのは発売開始してすぐにチケットを申し込んでいたからです。
運を感じるためには、何かしらの行動が欠かせません。
公認会計士試験にも「運」は必要なのでしょうが、「運」だけで完結させることはできません。
運じゃない何かがあるでしょうから。
結果が出たその原因がわかりにくいから、「運」で片づけてしまうわけです。
実際、わたしも不合格だったときに「運が悪かった」と考えたこともありました。
でも、それ以外の理由があったはずです。
とはいえ、「運」はコントロールできません。
ビンゴゲーム1位常連の元同僚のようにめちゃめちゃ運がいい人は、そうそういません。
であれば、運に左右される割合を下げておいたほうがいいと言えるわけです。
「運」の割合を下げるには
じぶんとしては「運があった」と思っていることにも、実は決め手となる理由があったという可能性もあります。
分かる範囲で理由は把握しておき、わからないことには運で片づける前にまずは仮説を立てておきたいところです。
たとえば、はじめての方にしごとを依頼していただけたとき、それを「運が良かった」と片づけるのはもったいないわけです。
何か決め手になった理由があるはず。
そのきっかけを知ることができれば、運の割合は下げられます。
・プロフィールに共通の趣味があった
・出身地が同じだった
・親族と同じ苗字だった
・遠方でも提供しているスポットのサービスがあった
といったことは、お客さまの声から拾い上げることができます。
何かしらの成果が出たとき、なかなか上手くいかなかったとき、運を考える前にじぶんの言動を見直してみます。
何が決め手になったのか。
何がダメだったのか。
仮説を立てておけば、運だけで片づけなくてもよくなりますし、じぶんの中で整理しておけば次につなげやすくなります。
運を上げるためには、何かしら前提といえる行動が必要です。
その前提を積み上げるためにも、じぶんの考えや体験を出す、書いて伝えるといったことはやっておきたいことです。
■編集後記
昨日は朝のタスクのあとコンサル(Excel関係)、午後は外出して税務署、カフェでブログを。
夕方は親の高齢者施設調べ、事務所HPのメンテナンスを。HPは見直してみると、気になるところ盛沢山で引き続きカスタマイズしていこうかと。
■息子(9歳)
昨日は久しぶりに晴天。朝、訪問リハビリで足のリハビリをした後はデイサービスへ。
前日、急に行きたくないと言い出したデイサービスだったのですが、理由を聞くと「AくんとYちゃんがケンカしててたから、それをとめに入ったりしてタイヘンだったんだよね」と。目を見て話を聞いてもらってスッキリしたのか、今回ははりきって行ってくれてホッとしました。
■昨日の1日1新
・大福パン(千秋庵)