情報が溢れているだけに、知らないことはなくなりません。
ただ、必要な情報に絞ってもやりようはあると考えています。
知らないことは恥ずかしい?
人が知っていることでも自分は知らないということはあるでしょう。
「えっ?知らないの!?」というように。
ただ、その情報が必要ない、興味や関心がないということもあります。
わたしの場合だと、たとえばプロレス。
昔、友達同士が「きのうのプロレス見た?」と盛り上がってる中、まったく知らないわたしは会話についていけませんでした。
なんとか興味をもとうと、プロレス雑誌を手にとってみたり、テレビ中継をチェックしてみたりしましたが、やっぱりおもしろいと感じることはなく。
いっぽうでバスケは興味があって、中学、高校と6年間を部活で、大学では2年ほどサークルでやっていました。
きっかけは、中学1年生のときに見たマジック・ジョンソン(レイカーズ)とマイケル・ジョーダン(ブルズ)のNBAファイナルです。
今でもバスケは興味があり、Youtubeで眺めたりしています。
昨年は折茂選手の引退試合を家族で見にも行きました。
子供の頃からのこうした体験で学べたのは、「興味をもてること」、「興味がもてないこと」は確実に誰にでもあるということです。
こうしたことは人それぞれで、興味をもったことを深めていければいいわけです。
少なくとも、わたしはプロセスに興味がなかったことで困ったことは今のところありません。
じぶんにとって必要な情報があればいい
独立後のひとり仕事でも情報は必要です。
ただ、必要のない情報を目にしやすいのが今の時代。情報に溺れないよう、取捨選別には注意しています。
先ほどのバスケで例えるなら、スコア(〇〇 vs 〇〇)や誰が何ポイント得点したかは知りたくない(必要ない)情報です。
試合経過を知ってこその試合結果なので、結果だけわかってしまったとすれば、それはネタバレと同じだからです。
そうした自分にとってはいらない情報は入ってこないように注意しています。
逆に、
・移籍やドラフトの情報
・NBAの試合(レイカーズ、セルティックス、ブルズ)
といった情報は知りたい情報なのでとりにいきます。興味がある情報は「とりにいってしまう」とも言えますが。
情報は絞ってもいい
自分にとって興味がない情報を耳にすると、平穏な気持ちになりにくくなります。
イラっとしたり、凹むような情報も飛び交うSNSとも距離をとるようにしています。
instagramは写真の腕を磨くトレーニングの意味もあって自分で撮った写真を投稿するということをやってはいますが。
X(Twitter)はまったくやっていませんし、通知もオフにしています。必要ないな情報がきっかけとなれば集中できなくもなりますから。
もちろん、情報の捉え方は人それぞれ。
ただ、人が知ってることをじぶんが知らないということを、気にしすぎても仕方ないでしょう。
じぶんにとって興味があることの情報を大事にしていきたいものです。
■編集後記
昨日は朝の習慣のあとはオフでした。
■息子(9歳)
風邪気味の症状が長引いてます(熱はなく、喉だけの症状ですが)。
なので、お家でゆっくり過ごしました。
■1日1新
・give me donuts