※札幌の街を囲む山 – by Canon RP(RF35mm f 2.0 1/7700 ISO 100)
先日「どうして独立したんですか?」と聞かれることがありました。
わたしの場合は「このままだと…」がきっかけです。
きっかけは「このままだと…」
書籍や雑誌などで独立のきっかけの記事を目にすることがあります。
「世の中にもっと貢献したい!」
「自分の可能性を試したい!」
「独立してでもやりたいビジネスがある!」
というように、ものすごく前向きに未来を思い描き語っている記事も多く見かけます。
独立するとは、本来それくらいのアグレッシブさがあり且つギラギラしたものがあるのが理想なのかもしれません。
ただ、未来はどう転ぶかがわからないのが現実。
今日よくても明日のことは明日になってみないことには正直わかりません。
明日を見据え、1年後、5年後、10年後のこともしっかり考え、方向性を見定めて、売上の見込みもある程度たてておくというのは確かに大事なことかもしれません。
しかしながら、そこまで準備万端にできている状況というのは、そうそうないものです。
準備万端にしてから独立しようと思っていたら、いつまでたってもできません。
準備万端の”万端”の線引きもあいまいなものです。
独立後のことは独立してからでないとわからないことは多く、飛び込むタイミング次第でしょう。
いつ飛び込むのか、そのタイミングを決めるきかっけとして、
・”今の状況”が既に嫌
・”今の状況”から抜け出したい
というのもあるでしょうし、
・今はいいけど、”これからも”は嫌
・今はいいけど、”この先”が不安
ということもあるでしょう。
今は給料が毎月もらえるし、福利厚生はあるし、ボーナスは出るし、社宅で家賃安いし、多少なりとも給料はあがっていくだろうし、残業も少ないし、嫌な人はいるけどガマンできなくはないから、今はいいかなと。
ただ、1年後には変わらなくても、この先5年、10年、20年後を考えると…。
「今のままでもいいかもしれないけど、このままだと…」と感じるなら、それも1つのきっかけになり得るものです。
わたしのきっかけもそれでした。
人生の転機(きっかけ)には「このままは嫌だな…」があった
はじめて勤務したのは新卒で入社した23歳の春。建設会社に勤めました。
建設会社を選んだのは、大学で専攻していた建築で食べていければと考えたからです。
地元の建設会社でしたから、大学卒業後は実家から通勤。父と二人暮らし(母は高校3年生のときに他界したので)でしたが、それも長くは続きませんでした。
現場を割当てられてからは毎日が家と現場を往復。現場が終われば、また違う現場に割り当てられるわけですが、それまでは毎日が同じ現場です。
毎日通勤しながら「一生これが続くのか…」としみじみ考えていたことがあります。
これが人生(社会人としての)はじめての転機ともなるきかっけでした。
現場が遠いと、長期出張で現場近くに張り付いてなきゃいけないケースも。わたしはなかったのですが、そうした現場を任されていた人は、家にもめったに帰れていないようでした。
家にめったに帰れない「出張」や「夜勤」のようなスタイルは苦手だったのですが、まさにそれが普通の業界に飛び込んでいたことに当時は気づくこともありませんでした(出張や夜勤とはその後も付き合っていくことになるのですが…)。
※そもそものきっかけは、父が夜勤や出張で家を空けることが多く、タイヘンそうな母を見て育ってきた過去があったからです。家族の事情も考えずに勤務体制を決めてしまう、ときには好き嫌いで…というのも子供ながらに納得できていませんでした。
とはいえ、金銭的にはそれで家族を支えてくれていたのですから感謝はしていますし、責任を果たしていたことは立派なことだと思っています。なので父の生き方を否定する気もありません。本人が納得できていればいいことですので。
それ以来、「このままだと…」とは常に考えるようになり、次にあったのは25歳の4月。
そのときは設計事務所に転職していましたが、その年の6月頭に辞めました。
そこからは、公認会計士試験の門をたたき、受験勉強をしつつ、複数アルバイトで生活費や学習費用を賄いつつ…。
簿記の「ぼ」の字もわからない状態からだったので、通常だと1ステップか2ステップを挟んで簿記検定など目指すのかもしれません。
ただ、「公認会計士なら人生を変えられるんじゃ…」くらいの覚悟はもっていました。
税理士と公認会計士で道を迷ったような記憶は不思議とありません。
税理士試験は、科目単位で合格できる試験。それだけに長期戦となる確率は会計士に比べて高めです。当時の懐事情を考えても長期戦はムリだということをわからないなりに悟ったからかもしれません(結局、会計士試験で長期戦になったわけですが…)。
そして公認会計士試験(2段階)と修了考査(3段階目)を経て、監査法人という組織で勤務してから再び「このままだと…」があり、独立することになります。
「このままだと…」というのは、人生を変えるきっかけにはなるものです。
ただ、それだけでは足りないということは、なんとなくは想像できるかたもいらっしゃるかと。
事実そのとおりで、
「今のままだと嫌だ」
「だから辞めたい」
「辞めたあとのことは後で考える」
というのでは、自分はよくても周りが納得できない可能性もあります。
もちろん、精神を壊してまで現状を受け入れるようなことは、誰も望んでいないはずです。
身のキケンを感じたら、すぐさま動くことも必要でしょう。
ただ、「このままだと…」という心の声がきっかけにはなるのものです。
きっかけを逃してしまわないためにも、「このままだと…」に続く何かはやっておく必要はあるでしょう。
「このままだと…」のあとにどう動けるか
「このままだと…」の直感も独立のきっかけになり得るものです。
だからこそ、そのあとにどう動くのか。その後付けが大事です。
わたしの場合もそうでしたが、「このままだと…」と感じたら、必死になって動いてみましょう。
A. 必要なことを調べる(本、ネット、人に会って話を聞いてみる)
B. 実際のところを聞いてみる(独立してる人)
C. 足りていないスキルを身につける
わたしの場合、AとBはやりましたがCは考えませんでした。
そこを気にしすぎると、いつまでたっても独立できないからです。
20代後半や30歳前半であれば、スキルのために配置換えの希望を出してみたり、転職する道もあるのかもしれません。
ただ、それでも雇われていることに変わりはないので、「このままだと…」は続く可能性はあるでしょう。
それに独立後のことは独立してみないとわからないことも多いです。
独立後に経験する多くのことは、独立していないことには経験できないことばかりです。事実わたしがそうでした。
もちろん、食べていけることの不安はありますし、食べていけるようになってからも「このままだと…」がなくなることはありません(わたしの場合はですが…)。
それでも日々動き続けることができるかどうかが独立後の世界というもの。
「このままだと…」と感じられているうちは、動いてなんぼの世界かと。
わたしの場合は「このままだと…」以外にもいろいろなきっかけに次々と遭遇したこともあったのですが、それなりに動いたこともあって今に至っていると考えてはいます。
現状をそのまま維持しておくのも、しないで済む失敗を避けて通れる選択かもしれません。
ただ、それが自分や家族にとってベストな選択かどうかはまた別の問題です。
人生の転機になるようなチャンスはそうそうないことですし、チャンスに気づけること自体が幸運なことです。
「このままだと…」に、すぐに動けるようなクセはつけておきましょう。
動かないことには何もはじまりませんが、実際どう動けばいいのかを決めるのは、そのときでも何も問題はありません。
■編集後記
昨日はオフ。朝タスクや習慣のあとは息子とふたりでドライブへ。天気も良くてドライブ日和、1日がかりでしたが、探していたアイテムも見つかり楽しめました。
■昨日の1日1新
・GARTEN OF BANBANのミニフィギア、缶バッジ、キーホルダー
・横浜家系ラーメン銀屋
■息子(11歳)
昨日はパパとふたりでドライブへ。
お目当てのグッズも見つかって息子的には目的を達成できたようです。