独立後にやめてみたこと。やめるために必要だったこと

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※打ち合わせの会議室にて – iPhone15

独立前と独立後を比べてみて、やめてみたことがけっこうあります。

目に映ることすべてが自分にとってもあてはまるとは限りません。

目次

独立後にやめてみたこと

独立後、「隣の芝生は青く見える」ではないですが、自分の目に映るものは良くも悪くも影響を受けやすいものです。

それが自分に合うことならまだいいのですが、そうでないことも出てきます。

・いつでも電話
・どこでも電話
・事務所にFAX
・ビシッとスーツ(ネクタイ)に革靴
・1日に大量のメール
・同じ時間に通勤
・終わりが見えない残業
・長期の出張
・大量の情報
・電卓をたたいて計算
・繁忙期は身動きがとれない
・Excelで資料をつくってもプリントアウトして手書き(もはや意味不明)
・大量のレシートを見て入力
・交流会や自分にとって意味をもたない研修会

自分にとって意義がないことなら、自分から「やめます」と宣言すればやる必要はありません(実際に声には出しませんが)。

独立後、とりあえず今までの惰性でやっていたことでも、合わないと判断できたことは減らしてきました。

といっても、やっていたことをやめるというのは、やったことがないことをはじめるよりも数倍はむずかしく、ちょっとずつ、ちょっとずつと減らしてこれたのが実際です。

やめることがどうしてこんなにもむずかしいと感じるのか。

それは、やめることで

「周りから変に見られたらどうしよう」
「あとで必要になるかも」
「あとで後悔するかも」

という気の迷いがあるからでしょう。

「合わないことをやめる」。
言葉にしてみると実にカンタンそうにも見えるのですが、迷いを振り切らないと本当の意味でやめることもできません。

「やめた」→「困った」はほぼない

独立後に「よし、やめよう」と思って、すぐにやめられたことはほとんどありません。

やめるにしても、何かしらのトレーニングが必要です(「わたしの場合は」ですけど)。

といっても、山ごもりのような大がかりなことではありません。

やめている状態が自分にとっての自然体になるようなトレーニングです。


たとえば、電卓。
まず、電卓をリュックに入れないことがやめる道への入口です。持っていなければ、惰性で使ってしまうこともありません。

その代わりでもないのですが、パソコンはどこへ行くにも持ち歩いているので、Excelで計算はできます(アプリでも計算できますし)。それで電卓のほうが、慣れているだけに速く計算できると感じるかもしれません。
ただ、そうしたまやかしに耳を貸さないことが大事です。

電卓だと、たたき間違いで計算ミスすることがありますが、Excelは入力にミスがあれば気づけます。
電卓をもっていないことに何か言われても、それで「忘れた」などと変にとりつくろう必要もありません。


残業しないから、「残業もしないなんて」や、スーツを着ないからといって「スーツも着ないなんて」などと怒られることもありません。今のところは。

自宅を事務所にして通勤をやめたというのも、それで「事務所も借りないなんて」と言われることもありません。
ひょっとしたら思われているかもしれませんけど。もしそれが理由で解約になるなら、それはそれで仕方のないことです。わたしと同じように、相手にも合う・合わないの境界線はあるわけですから。

いずれにしてもやめることによって、犠牲を払わないとならないケースがあるという覚悟は必要でしょう。

ただ、やめたことに自分なりの意義がありメリットがあるのであれば、単に犠牲を犠牲と感じずにすみます。

XやThredsのような合わないSNSをやめたことで、そこからのきっかけは確かになくなりますが、触れたくない話題にまで触れなければならないストレスと比べると、やめるメリットにしか目が向きません。

もちろん、合わないというだけですべてをやめていては犠牲もダメージも大きくなるかもしれません。
ただ、許容できること、できないことを比べてみて、やりたい仕事、自分のやり方を選んで平穏に過ごせたほうが望む自由が得られやすいです。

目に映る光景ばかりが自分に合う生き方とは限らない

独立後は、平日の明るい時間にも自由に動くことができます。
それで世の中の多数派の光景を目にすることがあります。

そうすると、「平日の昼間からふらふらしてていいのか?」と不安に感じるかもしれません。

世の中が通勤中の時間に私服で散歩していると「あら、あそこのご主人、今日も仕事しないで…」という視線を感じるかもしれません。

ただ、目に映る光景ばかりを気にしていても、合わないことをやめることはできません。

軽い割り切りのような覚悟は必要です。

すべてをカバーする、多くの人に好かれるなんてことは、できたとしても長くは続かないでしょう。
それならば、多少の割り切りがあっても良くも悪くも素の自分を出すほうが穏やかに生きられます。


とはいえ、自分に合わないかどうかを知るためには、まずやってみることが大事です。

それでも合わないというのなら、やめてみる価値はあります。

ただ、やめるにしても全力投球の覚悟は必要かと。
中途半端になることだけは避けたいものです。


■編集後記
昨日は朝のタスクや習慣以外はオフ。
家のとある点検をしたあとは、市内をちょっとドライブしているとポツポツと雨が降ってきたので早めに家に撤退しました。

■昨日の1日1新
・とある点検

■息子(11歳)
動画づくりが楽しいようです。
ほぼ遊びを実況している動画です。
最近はお気に入りのBGMを見つけてつくった動画に合成することにハマっています。


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