※お天道様は見ているよ(のイメージ)- by iphone15
従業員が数人のような小さな会社でも、不正の可能性は無視できません。
誰が得するわけでもなく、一番に損をするのは会社(自分)です。
だからこそ、抑止力は効かせていきたいものです。
誰も得をしないのが不正
小さな会社の不正で珍しくないのが、使い込み(私的流用)です。
ひとり会社の場合だと、社長自身がプライベートに会社のものを使うといったことになるわけですが、少数でも従業員を雇っているとなると、話はちょっと膨らんできます。
たとえば、会社のお金を使ってAmazonでプライベートの買い物をしていたような場合。
仮に毎月5,000円くらいの私物を買っていたとすると年間で60,000円。
2年、3年と続いていたらそれなりの金額になります。
そのうち味をしめてエスカレートしていく可能性もあります。
そうなると、トータルの金額は異様に膨れあがってしまい、もはや後戻りができない状況ということも。
「あの人がやってるなら…」とマネをする従業員が現われて連鎖するようなケースもあります。
それでやがて不正が発覚しても、得する人は誰もいません。
それまでに積み上げてきた信用も崩れるのは一瞬。仕事を失えば大きな痛手どころか、なにより家族に申し訳がたたないでしょう。
一緒に仕事していた仲間にとっても、良いことは何もありません。
むしろ、再発防止のために仕事が増えることがほとんどです。
いっぽうで、会社にとっては信用問題だけでなく、金銭的なダメージも負うことにもなります。
本来会社が負担するものではない買い物でお金を支払っているわけで、資金繰りにもマイナスです。しかも経費でないものを経費にしていたとなると、修正申告で追加の税金(+追加のペナルティも)がかかることになります。
本人だけでなく、そこで仕事をするすべての人、会社(社長)、取引先そして銀行など。あらゆる人にとってプラスになることが一切ないのが不正というものです。
不正による影響は金額だけでは測れない
「不正で得した!」と思うことがあったとしても、それは一時のこと。バレていないときだけでしょう。
それがいつバレるかの期間の長短はあるにせよ、いずれダメージとなって跳ね返ってくることに変わりはありません。
それに、誰がいちばん損害を被るかといえば、会社(社長)です。
もちろん、会社を支えている人(従業員)にとっても大きな損害につながるものです。
そこに人数の差はありません。
多かれ少なかれ、雇っている従業員がいるのであれば、その人たちも会社にとっては、財産なはずです。
財産には決算書に載るような数字で測れるもの以外にも、こうした財産はあるはずです。
仮に一部の特定の人によって(あるいは数人が共謀して)不正があるとすれば、他の人たちにもその影響は広がるものです。
・やるべき仕事が増える
・評判や口コミが悪くなる
・雰囲気が悪くなる
といったことです。
やらなくていい仕事をやらなくてはならなくなる。
しかも、緊急性が高く、そうした仕事に楽しみはありません。
それで退職者が出てしまえば、また募集をかけて人を雇わなくてはならないかもしれません。
人材紹介会社に支払う手数料もかかるかもしれませんし、教える、研修するといったコストも必要でしょう。
こうしたコストも含めて考えると、不正があったときの損害は計り知れません。
不正にかかるコストは、金額だけで測れるものではありませんし、広くイメージしておくことは必要です。
抑止力を効かせていくのは誰のため?
不正を対処するといっても、現実的にはむずかしい話も多く、キリのない話でもあります。
とはいえ、できることはやっておくべきでしょう。
とくに「抑止力」を効かせられているかは大事な視点です。
目を光らせておくというようなイメージです。
といっても、実際に目を光らせることではなく、「やってもすぐばれるかも…」という仕組みをつくるということです。
たとえば、前述の経費の使い込み(私的流用)の場合だと、
・内容を事前にチェック
・支払い時のチェック
・買った人とは別の人がチェック(少人数であれば社長含めて)
などで「やってもすぐバレますよ」と思わせられれば、少なくとも抑止力にはなるものです。
不正は会社の規模とは無関係、起こるときには起こるものです。
小さい会社であればこそ、工夫できることはやっておきましょう。
■編集後記
昨日は朝のタスクのあとは外出してカフェでブログなど。
その後は会計士業の打ち合わせのため室蘭方面(日帰り)でした。
■昨日の1日1新
・とあるドトールでブログ
・車で室蘭方面(日帰り)
■息子(11歳)
連休中に遊びに来てくれているばあば(妻の母)は朝に実家へと帰宅。
連休明けということもあってか、学校に行きたがらず、少し遅刻。
休み明けの初日で+ばあばが帰ったのもあるのかもしれませんが、それでも行けたという事実は成長の証かなと(ポジティブすぎかもしれませんが)

