「こだわり」は個性ともいえるものです。
熟成して伝えていくことも知ってもらうためには大事です。
「こだわり」という個性
生きていくうえで人との関わりはなくなりません。
仕事でもプライベートで趣味を楽しむといった場合でも、何かしら誰かと関わりはもつものです。
はじめてやること、もっと上達したいといったとき、人にみてもらうという方法で関わりを持つこともあります。
ただ、それが「誰」かによって、その後の道は変わる可能性もあります。
・「もっと○○しないと」
・「○○じゃないと」
と言われることもありました。なかにはイライラをぶつけてくるような人も。
以前、体験レッスンでサックス(楽器)を教えてもらったことがあったのですが、
「もっと姿勢を上げて吹かないと」
「どうして”ラ”がうまく出ないかな…」
とけっこうな強めの口調で教えられている生徒さんを見ることありました。
一緒に参加した他の人からも「えっ、そこまで(言う)…」という反応。
さすがにもっと別の言い方あるよな、と。
「こういうのは基礎が大事です。わたしもキビシク教えられて上手くなれましたから」と言われても、こちらとしてはキビシイ言葉を望んではいません。
キビシイ言葉をかけられないと上達しないかといえば、そんなこともないでしょうし、やさしいから上達しないというものでもないでしょう。
むしろ、キビシイ言葉をかけられた結果、せっかくの興味が摘み取られる可能性もあります。
たしかに「基礎は大事」などのありがたいお言葉も垣間見れましたが、その場所には行くのをやめ、別の場所を選びました。
「こだわり」をどう伝えるか
人は誰しもこだわりをもっています。
こだわりは、その人の特徴ともいえるので、違いを出すためにもこだわりは大事です。
ただ、それを伝えるとするならば、例えで伝えればいいのではないかと思うのです。
・「○○なんだから…」
・「○○しなさい!」
・「○○したらダメだ!」
という押しつけ、強制ではなく、「たとえば、じぶんの場合はこうやっていますよ」というような、やんわりとしてイメージで。
それで腑に落ちれば、参考にして取り入れてもらえますし、「う~ん…」と思われればそれまででしょう。
何が合う、合わないかはそれぞれ違いますから。
少なくとも伝える側にとっては、せっかく興味をもったことへの芽を摘み取らずに済みます。
わたし自身も教える場面はありますが、じぶんならどうするか、どうしているかという視点で伝えるようにしています。
やり方に絶対的なものはありませんし、ハッキリした正解なんてありません。
上から目線、キツイ口調でいったところで、そこに意味なんてないわけです。
かえって萎縮してしまい、せっかくのやわらかい思考も、ガチガチに凝り固まってしまいます。
やり方は自由。それぞれがじぶんなりのこだわりを内に秘めておけばいいのではないでしょうか。
そのうえで、外に出すときには「こんなものですけど、もしよければ」というやんわりとしたものであるはずです。
「こだわり」は熟成させていくもの
こだわりはそれなりの年月をかけてじぶんの中で熟成させていくものです。
それなのに、世の中には多くの「○○じゃないと」が溢れているように見えます。
独立すると決めたときも似たようなことがありました。
・「独立なんて」
・「人は雇わないと」
・「オフィス構えないと」
・「電話・FAXくらい置かないと」
・「もっと○○会に関わらないと」
といったように。
ただ、人に言われたからやる、世の中の多くがやってないからやらない、というのではあまりにもじぶんがいなさすぎます。
たとえ受け入れたとしても、それがじぶんにとっての本当の正解なのかはわかりません。
経験のない人からのアドバイスであればなおさらです。
じぶんはどう考えるのか?納得して動きたいものです。
とはいえ、じぶんの考えで納得し動いたとしても、やっぱり違ったということはあり得る話です(というか未だに普通にあります)。
それでも、じぶんで考えた末に「やっぱ違ったわ…」となったとしても、じぶんで納得してやったことなら受け入れようがあります。
打率10割は不可能なわけで、どうせ失敗するなら次につながる失敗をしたいものです。
■編集後記
昨日は朝のタスクと習慣のあとは、息子のハーフ成人式の写真を撮りに写真館へ。ブログは夕方に。
■息子(10歳)
春休み3日目。ハーフ成人式の写真撮影では、青い柄の着物を選んで撮ってもらいました。
カメラマンの女性の方も子供慣れしていて終始スムーズに、息子も楽しみながら撮影してもらえました。
■1日1新
・ハーフ成人式の写真撮影
・撮影用に着物を着る