最近、「ま、いっか」とつい言ってしまってます。
無意識に。
仕事の「ま、いっか」もありますが、普段の生活でも「ま、いっか」と。
この単語が口からでてきたら、それはもうイエローカード。一種の”警告”と考えるようにします。
「ま、いっか」が出るのはどんな時か
ちょうど今日、「あれ、なんだか最近、『ま、いっか』っよく口にしてるな」と思うところがありました。
まずはプライベートの一コマで。
ここのところ『氷結』(4%の小さいサイズ)にハマっていて、寝る前に飲むことが多いんですが、
さすがに体重が気になりだし、とうとう代替品を試すことにしたのです。
代替品といっても、強炭酸水・・・(ドラッグストアで98円 2L)ですが。。
わたしの脳的には、「アルコール成分」<「さっぱり爽快感」
さえ成立していれば大丈夫なはずだということで。
さすがに炭酸水そのままでは味気ないので、ポッカのレモン液を数的。
それはそれでさっぱりしていて満たされた感がありましたが、その時口から出たのです。
『ま、いっか』。と。
次に仕事中の一コマ。
それは「これ以上は時間が・・・」という、いわば若干せっぱ詰まった時でした。
Excelの操作で、調べてもっと楽な方法を試してみる、深堀してみるべきところを
その場しのぎで、今までどおりの方法でやってしまったのです。
つまりは、時間に追われ、”結果だけ”を求めてしまったわけです。
せっかく独立したのだから結果だけを求めてしまわないようにしたい
この”結果だけ”を求めてしまうことは、決して良いことではないと考えています。
なぜなら、そこには”妥協”という甘い誘惑めいたスパイスが混じっている気がするのです。
そういえばということで、以前の仕事ではどうしてたかな?と少し思い返してみました。
監査法人での勤務の時は、監査調書と呼ばれる書類を漏れなく、正確に作成すること=結果でした。
1~100の監査手続があったとして、1~100すべて実施していたとしても、1~100すべてについて監査調書に文書化していななければ、それは”やってない”と突っ込みが入り、言い訳できないのです。
こういったこともあり、結果を重視してしまいがちでした。
結果を生むための過程も大事でそれはそれで監査調書に書くのですが、監査のアプローチややり方はほぼほぼ決まっていて、
今思えば「やり方を工夫する」『別のアプローチで試してみる』という習慣が無かったのです。
せっかく独立し、監査以外の仕事もやっていく以上は、この”結果だけ”を求めてしまわないようにしなければなりませんよね(まだまだそういった案件はないのですが・・・)。
まとめ
プライベートでも同様、いや、それ以上に”結果だけ”を求めてはそもそもダメですね。
“結果だけ”しか考えないようでは、そもそも勤務時代と変わらないですし、
そもそも独立自体も長続きしない可能性もありますよね。
むしろ、結果に至る”プロセス(流れ)”をこそ重視すべきですね。
そしてそれを楽しむことができる、楽しめることを放棄しちゃいけないと、つくづく感じているところです
■編集後記
今日は久々の自宅仕事。
コロナワクチンの予約をしようと数か所の病院に電話するも全滅でした。。
集団接種予約の再開めどもなく、どうしたものかと。明日は別の病院に問い合わせする予定です。
■息子7歳5か月
おとといから咳、鼻水も少しでていて、微熱(37℃)がはじめたので、学校はお休みに。
その直前に受けたPCRは問題なかったのですが、念のため明日も休ませようかと。
大人と違って子供の場合は、咳がよくある症状らしいので、まだ油断できません。
■1日1新
とある申請
新PC届く(まだ未開封・・・)