周りと違うということでときには恥ずかしいと感じることもあるでしょう。
ただ、その違いを楽しむという考え方もできます。
周囲と違うと恥ずかしい
・周りがやってないと不安になる
・みんなと考え方が違っていて白い目で見られる
といったことがあります。
じぶんだけ意見が違っていたら恥ずかしいと、なかなか言い出せずにだんまりすることも。
ときには多数派に流された経験もあります。
会社や集まりでじぶんの意見とは違っていても、黙って合わせていました。
よく言えば協調性とも言えるのかもしれませんが、単に言えなかっただけという…。
独立してからも電話やFAXは使わないといけない、上下スーツ着ないとダメなど、じぶんの中で腑に落ちないものでも、世間の目から恥ずかしくならないように取り入れていました。
それでも今は周りと違っていても恥ずかしさは感じなくなってきました。
冒頭の写真は、昨日ちょっと遅め(14時ころ)のランチを羽田空港でしたときのもの。
バナナチョコパンケーキにするかフルーツ盛り合わせパンケーキかで迷ってしまい、店員さんに「どっちが人気ですか?」と興味ありげに質問。40歳を優に超える男1人で(結局人気があるというバナナチョコにしましたけど…)。
むしろ、恥ずかしいくらいがちょうどいいとさえ考えてはいます。
恥ずかしい→周りと違う、は個性ともいえるからです。
周囲と違うということを楽しむコツ
世の中の多くの人がやっていることでも、それがじぶんにとって合うかどうかは別の話です。
多くの人にとっては常識なことでも、じぶんにとってはそうでない。その逆ということもあり得ます。
・興味のあることが人と合わない
・誰も行かない場所が落ち着く
というように。
人と被らないから、かえって楽しめるし、人が少なければ得することもあるわけです。
そう気づいてからは周りと違ってても、恥ずかしいとは感じなくなりましたし、むしろ楽しめるようになりました。「ま、いっか」「ラッキー」というように。
・朝、外を歩く
・上下スーツじゃなく私服で仕事(訪問はジャケット)
・カフェで仕事(士業の仕事以外)
・平日に床屋
・カメラ持参で外出
・昼間に読書
・ブログ書く(今年7月からは毎日書く)
・私服で子どもの通学送迎
・カメラで撮影
・行列に並ばない
どれも、間違いなく多数派とはいえない行動でしょうし、過去のじぶんから見れば恥ずかしさがあったことです。
でも、今はまったくありません。
むしろ、それで問題ないと考えています。
世の中の常識とやらに引っぱられて、じぶんがじぶんでなくなるよりも、窮屈でなく、楽しいと思えることをやっていく。
たとえそれが些細なことでも、結果的に少数派になったとしても。
恥ずかしさが楽しさに変わったときに自分の軸もまた磨かれていくものです。
恥ずかしいことのメリット
多数派がダメというわけではなく、少数派がいいというわけでもありません。
じぶんらしさを犠牲にしないこと。じぶんに素直になれること。
つまるところ、それが大事なことではないかと。
わたし自身、多数派の属性ももちろんありますし、少数派にいることもあります。
多数派にいるから恥ずかしくない、少数派だから恥ずかしいとはならないわけです。
じぶんの本音でいられるなら、どっちにいたって間違いではないでしょう。
周りと違うからダメ、間違いと言えないわけですから、恥ずかしさを感じる必要もないわけです。
むしろ、その恥ずかしいと感じていることが、じぶんの強みにつながっていることもあり得ます。
そう考えると、周りと違っていて恥ずかしいことがあるというのは、むしろメリットです。
周りとの違いに恥ずかしいと思う部分があれば、堂々と楽しみましょう
楽しめば、強みにつながるものが見つかるかもしれません。
■編集後記
昨日は朝のタスク、会計士業で日帰りで東京へ。前日まで天気が怪しかったのですが、無事に行って帰ってこれました。東京の道中でカメラで写真を撮ったりも。東京はまだまだ暖かくていいですね(少し汗をかいてしまいました)。
■息子(9歳)
東京のお土産何がいい?と聞いてみたものの、「おみやげいらないからお家で一緒にゲームしたい」と。
ということで夜はパパとカーヴィーのゲーム(SFC版)を。戦艦ハルバードを撃墜して満足そうでした。
■昨日の1日1新
・恵比寿ガーデンプレイス
・ウェスティンホテル東京
・チョコバナナパンケーキとアイスティ(Amici del te’)