独立後はじぶんが望む環境を選ぶことができます。
ただ「できる」とは言いつつ、なかなか「すぐに」とはいかないものです。
変に気を使いすぎてヘトヘトになったことがあるとすれば、それは独立前にかかってしまった呪縛かもしれません。
早く抜け出したもん勝ちです。
気を使いすぎてヘトヘトになっていた話
組織にいると内部の人と一緒に仕事をして、ずっと気を張ってしまうということもあるでしょう。
ひとりで外出するときは気を抜けるときもありますが、外出も一緒となるとなかなか気を抜けないこともあるでしょう。
気を使い続けたあげく、ヘトヘトになってしまうこともあるかもしれません。
適材適所というコトバがあるように、持ち味を発揮できるかどうかは環境次第。
その環境がじぶんに合っているかどうかでしょう。
組織にいれば、仕事をする場所も選べませんし、誰と仕事するかも選べません(希望を聞くというイベントはあるでしょうが)。
なぜこんな話をするかというと、わたし自身、勤務しているときは気疲れの度合いがひどかったからです。
内部の人と数名で動く仕事だと、近くで聞こえる話し声や人の目を感じてしまっていましたし。
急に会話をふられてそれとなく返したり、会話に混ざったりといった具合です。
変に気を張ってしまってました。
体力勝負の仕事じゃないのに帰宅してからはいつもヘトヘトになっていました。
独立(ひとりで)すれば、こうした声も周りの視線もなくすことができます。
じぶんに合う環境で自由に動くことができるはずです。
ただ独立したとしても、すぐに自由に動けるかというと、そうでもありません。
それはどんな仕事をするかにもよりますが、独立前の慣習が習慣になってしまっているからです。
独立後の自由とは呪縛を取り除くことからがはじまりである
独立すれば自由に動けるかというと、そうでもありません。
独立前の「気を張っている」という習慣が抜けないからです。
・平日昼間は出歩かない
・ランチは12時~13時まで
・9時~18時までは仕事
・やらなくてもいい残業
どれも独立して間もない頃、わたしに残っていた習慣です。
「気を張ってないといけない」と呪縛から抜け出せないでいたのだと思います。
それから、いろんな気付きがあってこの呪縛を解いていけたわけです。
過ぎてしまったことをくよくよ考えてもしかたないですが、
もっと早く呪縛の存在に気付くことができてれば、また違ったもかもなと。
独立を決断する理由はそれぞれでしょうが、わたしの場合は「時間」でした。
それなのに、逆行することをしていては本末転倒です。
独立した意味も5割減どころか9割くらいは減ってしまっていました。
それともうひとつ、自由に動けるためには、仕事の内容にもよるということ。
請負や1日〇時間のように制限のある仕事だと自由には動きにくくなってしまいます。
望む仕事であれば問題ないわけですが、もしそうでないなら、一度立ち止まってでも考えてみる価値はあるかと。
仕事をいったん手放して入れ替えるのもじぶん次第ですから(もちろん迷惑をかけない前提で)。
そういうわたし自身、少しずつですがこうした仕事の入れ替えを少しづつ進めてはいます。
こういうことを進めるためにも、やはり日々の経理、お金の把握は必須です。
「早いもん勝ち」精神で自分に合う環境を
「早いもん勝ち」というコトバがありますが、独立したらまさにコレです。
じぶんが望み、じぶんに合う環境を早く見つけることです。
気を張り続けなくていい環境にいることで、チカラを入れたいところへエネルギーを注ぐこともできるはずです。
早ければ早い方がお得なわけです。
独立したら、いや、独立を決めた日からでもいいので、呪縛を取り除いていきましょう。
わたしのように、
・平日昼間は出歩かない
・ランチは12時~13時まで
・9時~18時までは仕事
・やらなくてもいい残業
などに捕らわれていてはいけません。
即刻捨て去ってしまいましょう。
それができて、はじめて「独立した!」と言えるのだと、いまでは考えています。
■編集後記
今日は朝タスクのあとは会計士業で外出しました。
久々にまとまった雨の日、しかも強風でしたが、なんとか。
■息子(9歳)
1時間目にある「レク」という受業。みんなで自由に話し合える受業のようで、息子も楽しみな受業のようです。
ただ体育がある日と勘違い(明日が体育)してしまったようで、少しがっかり気味でした。
「なんで今日じゃなかったんだよ~たいく」と。
足に不便があっても体育が一番楽しみな受業。
そんなふうに思わせてくれる先生方にはほんとうに感謝でいっぱいです。
■1日1新
・生コッペパン ダブルコロッケ(ファミマ)
・ほろよい 渚のここパイン
■1日1写
・さっぽろ500m美術館